日本の性教育の歴史年表
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戦後の日本の性教育に関する主要な事項を年表形式で整理しました。
1946年から1999年までの年表です。
1940年代後半
1946年
- 11月
- 次官会議で「私娼の取締並びに発生の防止、及び保護対策」が決定される。
1947年
- 1月
- 文部省社会教育局が「純潔教育の実施について」(発社第1号)を都道府県知事あてに通牒する。
- 6月
- 文部省純潔教育委員会が発足し、第1回総会を開催する。
1949年
- 1月
- 文部省純潔教育委員会が「純潔教育基本要項」を発表し、各都道府県教育委員会あてに通牒される。
- 6月
- 文部省の機構改革により、純潔教育委員会が社会教育審議会純潔教育分科審議会に改称される。
- 11月
- 文部省が『中等学校保健計画実施要領(試案)』を公表し、「健康教育の内容」の一つに「成熟期への到達」が示される。
1950年代
1950年
- 11月
- 文部省純潔教育分科審議会が『男女の交際と礼儀』を刊行する。
1952年
- 2月
- 文部省初等中等教育局が「中・高生徒の性教育の根本方針」を作成する。
1953年
- 4月
- 文部省初等中等教育局中等教育課が『明るい生活―中学校高等学校における性教育の手引―』を作成する。
1955年
- 3月
- 文部省社会教育審議会が「純潔教育の普及徹底に関する建議」を文部大臣に提出するとともに、純潔教育分科審議会作成の「純潔教育の進め方(試案)」を発表する。
1959年
- 3月
- 文部省社会教育局が青少年向け読物として、改訂版『男女の交際と礼儀』と、『性と純潔―美しい青春のために―』を刊行する。
1960年代
1961年
- 3月
- 文部省社会教育局が母親向け読物として『思春期までの子どもの指導―母親のよい理解のもとに―』を刊行する。
- 7月
- 純潔教育分科審議会が政令により正式に廃止される。
1962年
- 3月
- 文部省社会教育局が青年向け読物として『男性と女性―若い人々のために―』を刊行する。
1964年
- 3月
- 文部省社会教育局が成人教育用読物として『性についての正しい考え方 青少年の性に関する問題』を刊行する。
1965年
- 10月
- 宇都宮市教育委員会が「全国純潔教育研究集会」を開催する。
1966年
- 7月
- 関西純潔教育研究懇話会が設立される。翌年4月に関西純潔教育研究会に改称する。
1967年
- 3月
- 文部省社会教育局が『社会教育における純潔教育の概況』を作成する。
1970年代
1970年
- 8月
- 関西純潔教育研究会が日本性教育研究会に改称される。
1972年
- 2月
- 財団法人日本性教育協会が設立される。
- 3月
- 文部省社会教育局長裁定「純潔教育と性教育との関係について」で、「純潔教育と性教育とが同義語であるとの見解に立って、事務をすすめる」との見解が示される。
1974年
- 11月~
- 日本性教育協会が総理府の委託を受け、全国12都市の高校生・大学生を対象に「青少年の性行動調査」を実施する。
1979年
- 1月
- 文部省初等中等教育局が『生徒の問題行動に関する基礎資料―中学校・高等学校編』を刊行し、「性非行」について解説する。
1980年代
1981年
- 12月
- 全国性教育研究団体連絡協議会が発足する。
1982年
- 4月
- "人間と性"教育研究協議会が設立される。
1984年
- 4月
- 日本性教育研究会が日本性教育学会に改称される。
1986年
- 3月
- 文部省初等中等教育局が『生徒指導における性に関する指導―中学校・高等学校編』を作成する。
1989年
- 3月
- 1992年から施行される小学校学習指導要領が発表される。小学校5年生の理科の学習内容に「人の発生や成長」が入る。 のちに、「性教育 小5から」などと報じられる。
1990年代
1992年
- 4月
- 「人の発生や成長」が小5の理科の学習内容に入った、新・小学校学習指導要領が施行される。また、小学校にはそれまではなかった保健の教科書が使用され始める。この年を前後して、教育現場では一種の「性教育ブーム」が起こり、1992年を指して「性教育元年」とも報じられる。
1999年
- 3月
- 文部省が『学校における性教育の考え方、進め方』を作成する。